「徳川家康の功績〜天下人は何をやり遂げたか?〜」4コマヒストリー

「徳川家康の功績〜天下人は何をやり遂げたか?〜」4コマヒストリー

徳川家康と言えば、江戸幕府をひらき260年続く江戸時代をスタートさせた英雄。このことをもう少し掘り下げると、後世に影響を与えた彼の功績が見えてきます。徳川家康のしたこと、やったことを4コマで解説します。

徳川家康の功績①世界の大都市・東京の礎を築いた

1590年、小田原の北条氏を倒し、東北の諸大名を配下に収めた豊臣秀吉は、全国を統一を果たします。その秀吉に、徳川家康は東海から関東への領地替えを命じられました。

本拠地の候補は、北条氏が城下町を充実させていた小田原、源氏が幕府を開いた鎌倉などもありましたが、家康は江戸を選びます。

同年、江戸城へ入場。当時は現在の皇居近くまで入り江が迫り、城下町は京都や大坂のような大都市ではありませんでした。

家康は山を切り崩し、海を埋め立てて都市を拡張していきます。家康の江戸入府から1世紀あまりたった18世紀には、人口100万人に達したといわれます。当時のパリやロンドンと比べても、ひけをとらない大都市です。

明治維新で政権をとった明治政府も、天皇の住まいを京都から江戸へ移し、名称を「東京」へと改め新しい日本の首都としました。

1590年に家康が江戸を本拠地に選ばなければ、今日のような東京の繁栄はありませんでした。家康は突出した先見の明を持ち、江戸の潜在能力を家康が見抜いていたのかもしれません。

徳川家康の功績②長く続いた戦乱の世を終わらせた

15世紀の後半から、日本は1世紀近くの戦国時代に突入し、群雄が割拠し互いに争いました。

16世紀後半に織田信長が天下をとりましたが、戦争が終わったわけではありません。1590年に豊臣秀吉が全国を平定しますが、まもなく朝鮮に出兵します。

徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いで、秀吉の遺臣・石田三成を倒して全国の大名を従え、天下人となりました。

1614年の大坂冬の陣、1615年の大阪夏の陣では、秀吉の息子・豊臣秀頼を攻め、豊臣氏を滅ぼします。家康は強力な支配体制を整え、社会を安定させました。

徳川家康の功績③天皇をも包括する新たな統治システムをつくった

関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、1603年に征夷大将軍に就任し、江戸幕府をひらきます。

大坂の陣の1615年、家康は武家諸法度を公布します。大名同士が勝手に婚姻を結んで同盟関係を築くことを防いだり、城や大船をつくることを禁じました。

また、禁中並公家諸法度では朝廷を対象にした法律です。公家や天皇の行動を法で規制し、幕府の支配下に置くシステムは、これまでの武家政権では実現しなかったことです。

徳川家康の功績④3世紀の平和は経済・文化の基礎になった

大坂の陣で豊臣氏を滅ぼした16世紀前半から、19世紀後半の幕末まで、日本で大きな戦は起こりませんでした。

家康は、都市を発展させ、戦乱を終わらせ、これまでにない統治システムを創造し、およそ250年続くの平和の基礎をつくりました。

安定した社会の中で、農業生産や貨幣流通が向上し、大きな経済発展を遂げます。相撲や歌舞伎、落語など現代に続く大衆文化も花開きました。

また、国民が水準の高い教育を受けていたことが、明治の近代化を成功させる原動力になったとも言われます。

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